栄久寺について


人生に迷ったとき、

立ち止まったとき、

新しいことを始めるとき、


あなたに寄り添えるお寺でありたい

いつでも、相談ください

佛の花ひらく、暮らしの中に合掌

いのちに合掌

ごあいさつ

栄久寺が創建されて以来、地域の皆様とともに歩いてきた五百余年。皆様が笑顔でお過ごしになれるよう、そのお声に耳を傾け、お心に寄り添ってまいりました。支えてくださった皆様に深謝いたしますとともに、これからも皆様のお幸せを願い、日々精進してまいります。

栄久寺は、いつでも・どなたでも気兼ねなく足を運べるような、明るさと癒しに満ちた場所でありたいと思っております。お気軽にお立ち寄りください。

住職 野村 環右

当山は大永5年(1525年)越前府中に創立。

開山日要は、京都本山妙覚寺の学頭として京都での天文法難を前後とし布教宣戦拡大の為に越前の中心地府中に堂宇を建立する。


京都本山妙覚寺直末。


日像菩薩御作とされる日蓮大聖人御木像を奉安し室町・江戸期より大いに庶民信仰の中心となり俗称「厄除けの祖師・一木三体の祖師」とも言われる。


この地は府中城西側防衛のため天台法華系の寺院が5ヶ寺甍を連ねる都市計画上の防衛防災地帯でもあった。(現在は3ヶ寺のみが存在する)


享保年間、妙覚寺日宥と共に10世日順は広野本徳寺を再興。

嘉永5年市内の大火で類焼、諸堂、記録を消失するが日像作の宗祖木像は残る。(宗祖伊豆伊東御法難厄除け像)


23世日存が庫裡を再興し明治19年24世日慶が本堂を再興する。


明治43年26世が鐘楼堂を再建。

大正10年27世日蓉が庫裡を本堂より移転し、昭和8年石垣板塀を築き本堂内陣に仏具を完備する。

昭和49年、不幸にも子供の火遊びによって鐘楼堂消失。

昭和56年老朽化した庫裡を新築。


昭和59年、28世日空入山。

平成5年墓地大改修。

平成13年本堂大改修。平成17年1月新書院(成蹊閣)新築工事完了。庫裡大改修完了。

平成29年6月、福井市足羽山 弘法院大師堂(ぐほういんだいしどう)を日蓮宗として再開堂。


現在に至る。